アラフォーのバイリンガル育児ライフ in US

南カリフォルニア オレンジカウンティー在住。バイリンガル育児とアメリカ生活の記録。

南カリフォルニアに引っ越しました&アメリカ生活1年の振り返り

こんにちは。

お元気でお過ごしでしょうか。
カリフォルニアはコロナが全く落ち着く気配がありません。
レストランが開いたりと、少しずつビジネスも再開し始めていますが
正直、大丈夫そうだから行くというよりは我慢できないから行くという人がほとんどじゃないでしょうか。
ずっと家で過ごすのは限界があります。
誕生日や結婚記念日のイベントが近いので
レストラン行ってみる・・・?という話が出てます。
行ってみようかどうしようか考え中です。

コロナとの共存生活は、日本ではウィズコロナ、っていうんですね。
アメリカだとニューノーマルと言います。
新しいニューノーマルの形が作られつつあります。
学校は夏休み明けの新学期は、まさにニューノーマルの形になるかと思います。
どうなるんだろうなー。


突然ですが、引っ越しました。
南カリフォルニアに!

夫はベイエリアじゃなくても仕事ができるということになり、となるとベイエリアはとにかく不動産が高すぎる。
ベイエリアのオープンハウスにはけっこう行きました。
エレベーターが止まりそうなボロアパートでも1億とか普通です。
不動産とはほんと立地が全てですね。
私が住んでいたベイエリアの西側、SFOから南のエリアだと
1億くらいの物件は、家の中は改装してすごく綺麗にしてあったりするのですが、「友達を呼べるのか」と考えた時に
外観がちょっと、というものや、友達と過ごすには狭すぎるかな、という感じです。
このあたりがベイエリア不動産エントリーレベルの物件なんですよね。
1.5億くらいだと、ようやく住みたいという物件は出てきますね。
上はキリなくあります。

アメリカは中古物件がほとんどなのですが、古いほどHOAという管理費のようなものが月々の支払いを押し上げていて
例えば1億の物件だとすると、目安としてはローン組むと固定資産税入れて月$5,000くらいの支払いになります。
そこに生活費、子供の教育代などのローン以外の支出が加わりますから月々の支出は相当なものになります。
日本の物件と比べると、固定資産税とHOAが高いので月々に乗っかってくるという感じです。
あとは利子ですね。
アメリカ歴史史上すごく安い利子ではありますが日本ほどは低くないです。

あとは、ベイエリアは物価が高いので、生活費もけっこうかかります。
息子はそろばん教室にいっていましたが、南カリフォルニアで調べると月謝が半額です。

高騰し続けていてびっくりなベイエリアですが、
ダブルインカムで世帯年収にすると4000万くらい稼いでる人はゴロゴロいるので
物件はすぐ売れていっているのが現状です。
アメリカでも特殊なエリアです。

このコロナの影響でリモートワークも増え、長引けば長引くほどベイエリアで仕事しなくてもいいんじゃないか
という動きはあるようです。
ツイッターは従業員が希望する場所での勤務を、永続的に許可する、としましたよね。
コロナが収束してもベイエリアに戻ってこなくていいんです。
だとしたら、高い家賃払ってまで残らなくてもいいと思う人はいるんじゃないでしょうか。
給料がどうなるのかにもよるのでしょうけども。
FBはコロナ収束までは他の場所で働いてもいいけど給料はベイエリア分は引くよ、という対応だったかと思います。
ベイエリアの家賃が高いのはよく知られていますが、企業もそれを考慮した給与になっているんですよね。
サンフランシスコ市内の家賃も10%程度安くなったと聞いたので、街を出ている人がある程度いる雰囲気です。
どうなっていくのでしょうか。

私たちは引っ越すという選択になったので、また新しい生活のスタートです。
1年間、夫の家族の生活お世話になり、家族には本当に感謝です。
よく同居してストレスたまらないの?と言われましたが、まぁたまることはあります。
ストレスをためるのは私より夫の家族側なので、私がストレスたまるなんていう立場ではないんですよ。
逆によく受け入れてくれたなーと思います。
家族だから力になりたいと言ってくれて、本当によくしてくれました。
いつか恩返しをしないといけません。

1年振り返って、
車の免許をとって運転する、息子がアメリカの小学校に行く、親子で英語に慣れる、生活に順応するということが
なんとかできホッとしてます。ひとまず第一関門突破というかんじです。
運転はまだ最低限はできるっていう感じですけどね。
渡米前は、そうした一つ一つが不安でたまりませんでした。

英語について。

息子は、東京のプレスクールを3−5歳まで(英語)→私の実家の幼稚園年長(日本語)→私の実家の小学校1年生2ヶ月(日本語)→アメリカの小学校(英語)という流れできました。母語は日本語でした。
私の実家生活は、私のVISA待ちでパパ不在だったので日本語のみの生活でした。
この時期は先のアメリカ生活の不安もあるのか、英語を聞くのも話すのもとにかくイヤになっていて、英語の番組や映画は拒否でした。
私が「OK」というだけで、「ママ英語話さないで」と言われる始末で結構心配していました。
くもんの英語はなんとかやっていました。

アメリカに来てみて、
年の近いいとこと最初からすぐに仲良く過ごして、なんとか英語で話していました。
プレスクールで英語がインプットされていたのは大きかったとつくづく思いました。
スピーキングの方は、細かい会話はなんて言えばいいのかなという場面はたくさんあったと思います。
半年くらい経つ頃には、仲がいい友達もできていて、友達からいろんな表現を学んで帰ってきてました。
この頃、英語が上手くなったね、と言われることが増えました。

私は、日本ではほぼ夫としか英語を話してなかったので
こちらに来て、周りの人が話す英語が速いと感じたのと
速い上に、モゴモゴ聞こえて何言ってるのかさっぱりわからない、という人もいました。
人によって、聞きやすかったりそうじゃなかったりはあるんですよね。
10年くらい前に、TOEICリスニングは満点とりましたが、現地の人はあんなにゆっくり話さないのす。
英語ネイティブじゃないから、ゆっくり、はっきり言ってね、といえばそうしてくれますが。

私にとっては義兄の英語は聞きにくかったのですが、それも半年くらい経って
耳が慣れてよくわかるようになってきた気がします。
いろんな人の英語を聞く、現地の人のスピードに慣れるというのは大事ですね。
ただ、知らない言葉を言われたらリスニングの問題じゃなく自分のボキャ不足の問題なので
いくら聞いたところでわからないままです。
知ってる単語だったら「あの言葉を言ってるんだ」と繋がる瞬間があるのです。

あとは、学校関連や、病院関連、図書館にしてもなんでも
英語のウェブサイトみないといけないことが増えたので
調べ物も多少は慣れました。
ウェブで調べる、電話して聞く、行ってみる、診察受けたり、購入したりする、のような流れをなんどもすることで
慣れていく感じですね。

さて2年目はどんな年になるでしょうか。

家族みんな健康に過ごすのを第一に、いろいろ楽しんでいけたらと思ってます。